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What's on my mind? ~きょうの記録~

What's on my mind? ~きょうの記録~

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人々は口々に、私に子供がいるように見えないという。
家庭のにおいがしないという。
ダンナのかげが見えないという。

そう、それは正しいのだ。

あの子たちはもういない。
愛する彼はもういない。

ただ私の中に消えない傷跡があるだけだ。
ここには、空洞の私がいるだけなのだ。


*****


22歳だった私は、それなりに生意気で、それなりに幸せで、
それなりに充実した日々を過ごしていた。

ある夏の朝、道玄坂を渋谷駅に向かって歩いていた。

ふと、おなかの辺りにものすごい衝撃を感じ、息ができなくなった。
持っていたカバンが肩からずり落ち、私はその場にうずくまった。

苦しい。声が出ない。息ができない。

「大丈夫ですか?」

と声をかけられて視線を上げた先に、取っ組みあいをしている
二人の男の姿が見えた。

「蹴られたんですか?」

そうだ。
やっと状況が理解できた。

正面から歩いてきた見ず知らずの男が、いきなり私に
とび蹴りをしてきたのだ。

それを見ていたある男性が、私を蹴ったその男を追いかけて
延髄蹴りを食らわせていた。

私はうずくまったまま、見ず知らずの私のために戦っている
その男性を見ていた。

それが、彼とのはじめての出会いだった。
そして、その瞬間、私は恋に落ちたのだった。


*****


笑顔が素敵な彼は、がっちりした体に似合わず、
とてもシャイな人だった。

周りの人に信頼されていて、夢を持っていて、
お酒を飲んで熱く語りあうのが好きな人だった。

私はそんな彼の話を聞きながら、横顔を眺めているのが
大好きだった。

付き合い始めてすぐ、私たちは一緒に暮らし始めた。
一瞬だって離れていたくなかった。ずっと一緒にいたかった。
彼のことが愛しくてどうしようもなかった。

私たちは毎日愛し合った。
何度も何度も愛し合った。

そして、子供ができた。
私たちの愛する子供がうまれた。男の子だった。

私は卒業を控えていた大学を中退し、愛する彼と
愛する子供と3人で幸せな生活を送っていた。

一生、この生活が続くと思っていた。
ずっと幸せでいられると思っていた。


*****


ある日、いつものようにベビーカーを押しながら
3人で近くの公園に散歩に出かけた。
太陽の日差しと、新緑が気持ちいい、4月の午後だった。

公園について、紫外線は大敵!なんて、お肌のことを
気にしていた私は、公園内の日陰のベンチに座っていた。

やっと歩き始めた息子と彼は、楽しそうに遊んでいた。
そんな姿を眺めながら、私は幸せをかみしめていた。
彼と出会えたこと、こんなにかわいい子供に恵まれたことを
かみさまに感謝していた。


ふと、すごい轟音が聞こえて、大きなダンプカーが
公園に突っ込んできた。

そして、彼と息子の姿が見えなくなった。
一瞬の出来事だった。

凍り付いて動けなかった。
何一つできなかった。

そこから先は覚えていない。
半狂乱に泣き叫んでいたのかもしれない。
すぐに気を失ったのかもしれない。

気がついたときは、病院で点滴を受けていた。
しばらく何が起こっているのか、何が起こったのか
理解できなかった。

看護婦さんに付き添われて、霊安室に行った。
2人の姿らしきふくらみの上に、白い布がかぶせられていた。

いやだ。絶対に見たくない。絶対に信じない。

そういって、泣きじゃくる私の目の前で看護婦さんが
白い布を取った。

あんなに愛した彼が、あんなに愛した息子が
目をつぶってそこに横たわっていた。

彼とあの子は、どこか他の場所にいる。
これは現実なんかじゃない。
はやく目が覚めて。はやくこんな夢、終わって。

これ以上つらい現実があるのかと思った。
生きている意味なんてないと思った。

そのとき私は二人目の子を妊娠していた。


*****


毎日毎日抜け殻のように、泣いて暮らしていたある日、
おなかに激痛がはしり、出血した。
私は必死で救急車を呼んだ。
せめてこの子だけは、私から奪わないで。

病院に運ばれたときはもう手遅れだった。
後で聞いたら、男の子だったという。

私は3人目の愛する生命まで失ったのだ。


*****


それから後のことはあまり覚えていない。

そのときから私は自分の中のほんのわずかな正気を守るため
架空の世界を作り上げた。

そこでは愛する彼も、子供たちも元気で幸せに暮らしている。
毎日、仕事や勉強や育児や家事に追われて、忙しいながらも
充実した幸せな生活を送っている。
いろんな出会いがあって、いろんな経験をしている。
私は前向きで、向上心に満ちている。

そこで生きている私が、本当の私だと自分に言い聞かせ続けた。
そのために、それを信じるために、こうしてブログをつけている。
ときどき子供たちの成長を綴ったりもしている。


今、本当の私は、パソコンと、ベッドと、本以外何もない暗い
部屋で、ひっそりと一人で過ごしている。

だれとも会いたくない。
だれとも話したくない。
ただシミュラークルの世界の中だけで生きていたい。

この先もずっと、私はこの暗闇の中にいる。
あの日、すべてを失ったとき、私は心を置いてきたのだから。


*****

※これは97%フィクションです。



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